ミチカラ
風景・偉人・文化
新しい文明の開化により、
薄れていく古き良き日本の伝統を
いつまでも絶やす事無く、
なにげない日常生活に残していきたいと
いう思いを込めて・・・
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日本刀の鐔
刀鐔とは・・・刀を握る手を護る為の刀装具。
本来、日本刀は武器として生まれたが
平和な時代を迎えた現代においては、身を護る為の御守りとして用いられる。
名工 陸奥守吉行(むつのかみ よしゆき)
江戸時代中期に奥州宇多群中村(福島県相馬市)に、刀工の森下播磨守吉成の次男として生まれ、兄に刀工の上野守吉国がいる。
父兄とともに大阪に出て、三品派の大和守吉道に師事する。
陸奥大掾(※1)ついで陸奥守(※1)を受領する。
元禄年中、土佐藩に招かれて鍛冶奉行となり、高知城の東、種崎町に移住する。
坂本龍馬の佩刀の作者として著名である。
(※1)陸奥大掾、陸奥守・・・陸奥国(青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県北東部)の国司の名前
土佐藩出身の幕末志士 坂本龍馬
土佐郷士株を持つ裕福な商家に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた海援隊を結成した。
薩長同盟(※2)の斡旋、大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺された。
倒幕および明治維新に影響を与えるなどの働きをした。
「銃の前には刀なんて役にたたない」という台詞で有名な龍馬だが、
兄、坂本権平に先祖伝来の刀で死にたいとを無心し、坂本家先祖伝来である陸奥守吉行を拝領したといわれている。
龍馬はこの刀をとても気に入っていて、常に腰に差して自慢していたといわれている。
しかし、その自慢も長くは聞くことが出来なかった。
入手からわずか8ヶ月後、龍馬は寺田屋で暗殺。龍馬は最期の日もこの「陸奥守吉行」を携えていたとされる。
そのことから、兄、坂本権平に無心した「先祖伝来の刀で死にたい」が現実となってしまったといわれている。
(※2)薩長同盟・・・小松帯刀邸(京都市上京区)で締結された、薩摩藩と長州藩の政治的、軍事的同盟。
(※3)大政奉還・・・江戸幕府が朝廷に統治権を返上した事。
唐獅子牡丹 鍔
寺田屋事件の際に、龍馬が持っていた刀に唐獅子牡丹の鍔がついていたといわれている。
唐獅子牡丹とは・・・
強く勇ましい唐獅子の、たったひとつの弱点。
それは唐獅子の体毛の中に住みつき皮膚を突き破って肉まで食べてしまう害虫。
この害虫は、牡丹の花からしたたり落ちる夜露にあたると死んでしまうそうです。
その為、夜になると強く勇ましい唐獅子は心休まる安住の地である牡丹の花の下で休みます。
北辰一刀流の免許皆伝の腕前であり、愛妻家であった龍馬を彷彿とさせるデザインです。
台紙には、龍馬の人柄を表す朱色と吉祥模様である青海波。
裏面には坂本龍馬の家紋と名、彼の愛刀 陸奥守吉行の名
そして、坂本龍馬とその妻お龍のイメージである龍が描かれています。
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