ミチカラ
風景・偉人・文化
新しい文明の開化により、
薄れていく古き良き日本の伝統を
いつまでも絶やす事無く、
なにげない日常生活に残していきたいと
いう思いを込めて・・・
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日本刀の鐔
刀鐔とは・・・刀を握る手を護る為の刀装具。
本来、日本刀は武器として生まれたが
平和な時代を迎えた現代においては、身を護る為の御守りとして用いられる。
名工 大和守安定(やまとのかみ やすさだ)
江戸時代の紀州石堂派の出身の刀工。
新刀(※1)上々作(※2)にして良業物。
切れ味が素晴らしく、截断銘(※3)のつくものが多い。
その切れ味の良さから、幕末の剣士に愛用者が多かったといわれ、
特に有名なのは、新撰組 一番隊組長 沖田総司もその一人とされる
他にも新選組隊士 大石鍬次郎(人斬り鍬次郎)や、遊撃隊 伊庭八郎(伊庭の小天狗)も安定の愛用者だったといわれている。
(※1)新刀・・・慶長元年(1596)~安永末年(1781)までに作刀された日本刀。
(※2)上々作・・・刀工の位列の事。上々作は、上から2番目で、最も良い刀工は最上作と呼ばれる。
(※3)截断銘・・・その刀の切れ味を茎に記した銘文。
新撰組 一番隊組長 沖田総司
凄腕の一番隊組長として恐れられていた沖田だが、当の本人はいつも冗談を言っては笑い、屯所の子供達ともよく遊ぶ、陽気な性格であったといわれている。
近藤勇や土方歳三など新選組についての酷評で知られる西村兼文(※4)ですら、沖田についても批判を残していない。
そのことから沖田は新選組に表立って敵対した者以外には人当たりの良い好人物であったと考えられている。
そんな沖田だが、やはり剣術の腕は凄まじく、
同じ新撰組 二番隊組長 永倉新八は「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助などが竹刀を持っては子供扱いされた。恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた」と語り、
弟子には「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」とも語ったといわれている。
沖田の指導を受けた者によれば「荒っぽくて、すぐ怒る」といい、稽古は相当に厳しかったらしく、師範の近藤より恐れられていた。
また、「刀で斬るな!体で斬れ!」と教えていたともいわれている。
(※4)西村兼文・・・幕末の京都西本願寺侍臣。尊皇攘夷派であり、新撰組始末記の作者。
輪違図 鍔
細く、凄まじい切れ味を持っていたが、名人にしか使いこなせなかったといわれている、沖田総司の愛刀 大和守安定。
その大和守安定は現存していないといわれている。
その為、沖田総司の生き様や性格、大和守安定の刀の特徴を活かし、繊細でありながら力強く美しい輪違図鍔で再現。
台紙には、入子菱柄と新撰組のイメージカラーである浅黄色を使用。
裏面には沖田総司の家紋と名、そして彼の愛刀 大和守安定の名が入っています。
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